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広島高等裁判所松江支部 平成9年(う)32号 判決 1998年9月11日

主文

原判決を破棄する。

本件を松江地方裁判所に差し戻す。

理由

一  控訴の趣意及びこれに対する答弁

本件控訴の趣意は、検察官田中良作成の控訴趣意書に、これに対する答弁は、弁護人甲作成の答弁書に、各記載のとおりであるから、これらを引用する。

論旨は、要するに、原判決は、「日本国と大韓民国との間の漁業に関する協定」(昭和四〇年条約第二六号。以下「日韓漁業協定」という。)の解釈を誤り、本件について日本に裁判管轄権がないとして不法に公訴を棄却したものであるから、破棄を免れない、というのである。

二  公訴事実と原審の判断

本件公訴事実は、「被告人は、大韓民国の国籍を有し、同国の船舶である漁船第九〇九テドン(総トン数六八トン)に船長として乗り組み、あなごかご漁業に従事しているものであるが、法定の除外事由がないのに、平成九年六月九日、島根県浜田市所在の馬島灯台から真方位三一七度約一八・九海里付近の本邦の海域において、同船によりあなご篭を使用して、あなご約六・二五キログラムを採捕し、もって本邦の水域において、あなごかご漁業を行ったものである。」というものである。

これに対し、原審は、前提事実として、右公訴事実に記載の海域(以下「本件海域」という。)は、日本の沿岸のいわゆる通常基線から測定して一二海里より外側にあり、「領海法」(昭和五二年法律第三〇号。以下「旧領海法」という。)によれば日本の領海ではなかったが、「領海及び接続水域に関する法律」(右旧領海法が平成八年法律第七三号により改正され、題名も改称されたもの。以下「新領海法」という。)二条、同法施行令(昭和五二年政令第二一〇号の平成八年政令第二〇六号による改正後のもの)二条一項により平成九年一月一日から新たに日本の領海とされた海域であり、したがって、平成八年一二月末日までは外国人漁業の規制に関する法律三条一項の「本邦の水域」ではなかったが、平成九年一月一日から右「本邦の水域」であることとなったものであること、及び本件海域が、少なくとも平成八年一二月末日までは、日韓漁業協定一条一項に定める日本が「漁業に関して排他的管轄権を行使する水域」(以下「漁業に関する水域」という。)の外側であったことを認定判示し、その上で、同協定四条一項が「漁業に関する水域の外側における取締り(停船及び臨検を含む。)及び裁判管轄権は、漁船の属する締約国のみが行ない、及び行使する。」と定めていることを指摘し、「条約は常に法律に優先する効力を有する」ところ、同条項は「漁業に関する水域」の外側については拡大した領海内についても取締り及び裁判管轄権を制限する趣旨のものであると解釈されるから、この点に関する限り条約である日韓漁業協定が優先し、韓国の国籍を有する被告人が韓国船籍の漁船で漁業を行った本件公訴事実については、日本に裁判管轄権はない旨判断して、公訴棄却の判決を言い渡した。

三  当裁判所の判断

しかしながら、原審の右判断は、これを是認することができない。その理由は、次のとおりである。

1  関係証拠によれば、本件海域は、旧領海法の下では日本の領海に属さなかったが、領海の設定につき直線基線を採用した新領海法及び同法施行令(前記のとおり改正後のもの)二条一項の施行により、平成九年(一九九七年)一月一日から新たに日本の領海に属することとなったものであることが認められる。他方、本件海域は、日韓漁業協定発効後旧領海法が施行されるまで(つまり日本の領海が沿岸から三海里までであった当時)は同協定一条一項により日本が設定する権利を有することを認められた「漁業に関する水域」の外側に位置し、旧領海法施行後新領海法及び同法施行令施行前(つまり日本の領海が沿岸から一二海里までで直線基線を採用していなかった当時)は日本の領海の外側に位置していた。

2  沿岸国がその領海に自らの主権を行使し得ることは国際法上確立された原則である。したがって、本件海域が日本の領海にある以上、これに対して日本の裁判管轄権が及ぶのは当然のことである。もっとも、日本が主権の行使に何らかの制限を認めている場合は別であるが、この点につき、原審は、前記のとおり、日韓漁業協定四条一項は「漁業に関する水域」の外側についてはそこが後に領海とされたとしても日本の取締り及び裁判管轄権を制限する規定、換言すると、漁業に関する限り「漁業に関する水域」の外側については日本が領海における主権の行使を放棄した規定であると解釈している。右解釈は、日韓漁業協定が公海だけに限定した取り決めではなく領海をも規制対象としたものであるとの理解を前提としているが、後述するとおり、右協定が締結された当時の国際法の動き、右協定締結の背景及び協定の文言等を考えると、原審の右解釈は失当である。

3  まず、国際法上、海洋は「領海」と「公海」とに区分される。そのうち「領海」は沿岸国の主権が及び水域であり、「公海」は「領海」の外側にあっていずれの国の領有権からも解放された自由な水域である。したがって、両者が重なり合うことはあり得ない。そして、国際法上、「領海」とは別個に「漁業水域」(「漁業専管水域」ともいわれる。)という概念があるが、これは、沿岸国の領海に接続する公海の一定の水域で沿岸国が漁業に関して排他的権限を行使できるところであり、一九五八年(昭和三三年)の第一次国際連合海洋法会議や一九六〇年(昭和三五年)の第二次国際連合海洋法会議における領海の幅に関する議論を背景に、一九六〇年代になって対立の深い領海の幅についてはこれを棚上げした上、「漁業水域」設定の宣言やそれを規定する協定が続出し、国際法上の一般的な制度として定着したものである。このように、「漁業水域」は、領海の幅について国際的な合意が得られないことからこれを棚上げした上、できるだけ自国の排他的権限の及ぶ範囲を拡大したい、領海の外側すなわち公海にも一定の範囲で自国の権益を及ぼしたいという沿岸国の思惑から、領海の外側すなわち公海に設定されるものとして成立した概念である。したがって、「漁業水域」も領海と重なり合うことはあり得ない。換言すれば、領海の内側に「漁業水域」が存在することはない。また、「漁業水域」は公海に何らかの制限を加えるものであるが、「漁業水域」が領海を制限したり、領海の例外を形成したりすることはない。

日韓漁業協定一条一項、四条一項に定める「漁業に関する水域」の法的性格は、その文言や、同協定が前記国際法の動きの中で成立した経過に照らしても、国際法上の前記「漁業水域」に当たると認められる。これと別異に解釈すべき事情は何ら存しない。そうである以上、「漁業に関する水域」について規定した同協定が規制対象として考えていたのは公海であると認めざるを得ないのであって、これが領海をも規制対象とする意図があったとは認め難い。

4  また、日韓漁業協定は、昭和四〇年(一九六五年)六月二二日締結された条約であるが、当時日韓の間にはいわゆる李承晩ラインをめぐる漁業紛争があり、これを解決して公海における漁船の安全操業を図り、また、両国間に存する公海における漁業資源の保存と合理的開発等を図るため、同協定を締結したものである。このような背景と目的のもとに同協定が締結されたことを考えると、同協定は領海に沿岸国の主権が及ぶことは当然の前提として、その主権の及ばない公海における漁業問題を解決しようとしたものであると解される。このことからみても、同協定が領海をも規制の対象としていたとは到底いえない。

5  日韓漁業協定が公海だけに限定した取り決めであることは、次のことからも裏付けられる。

すなわち、国会審議において、当時の水産庁長官は、同協定が領海とは別個に、漁業に関する問題として締結されるものであることを明言している(当審検甲二)。

また、日韓漁業協定の前文は、「日本国及び大韓民国は、両国が共通の関心を有する水域における漁業資源の最大の持続的生産性が維持されるべきことを希望し、前記の資源の保存及びその合理的開発と発展を図ることが両国の利益に役立つことを確信し、公海自由の原則がこの協定に特別の規定がある場合を除くほかは尊重されるべきことを確認し、両国の地理的近接性と両国の漁業の交錯から生ずることのある紛争の原因を除去することが望ましいことを認め、両国の漁業の発展のため相互に協力することを希望して、次のとおり協定した。」と規定し、協定締結の目的が両国の漁業の調整にあることを明らかにするとともに、公海自由の原則が尊重されるべきであることをうたっているのであって、領海をも規制対象とする意図を読み取れるものはない。

この点に関し、原判決は、「前文全体をみても、『公海自由の原則がこの協定に特別の規定がある場合を除くほかは尊重されるべきことを確認し』とある部分のみをみても、日韓漁業協定が公海だけに限定した取り決めであると解することはできない」とするのであるが、これは、前文にある「両国が共通の関心を有する水域」という字句の解釈を誤ったものである。すなわち、原判決は、先の引用部分に続けて、「むしろ、いずれかの国の領海が拡大したとしても、前文にある『両国が共通の関心を有する水域』が変わる性質のものではないことからすれば、領海が拡大したとしても、漁業に関する水域やその効力には何らの変更も生じないと解するのが相当」と判示しており、右判示からすれば、原判決は、「両国が共通の関心を有する水域」とは領海をも含んだものをいう、との解釈に立っていると推認されるが、そのような解釈では、日韓漁業協定は、一方の国が他方の国の領海に関心を有し合うという、まことに不穏当な表現を、その冒頭において行ったということになってしまうのであり、これが失当であることは明らかというべきである。ここで「両国が共通の関心を有する水域」とは、関心を有することが正当と認められる水域のことを意味するのであり、この言葉は領海には妥当しない、すなわち公海のことを指す、というのが国際法の常識にかなった解釈であり、その前提で前文を読めば、日韓漁業協定が専ら公海を対象としたものであることが、自然に理解できるものである。

さらに、日韓漁業協定には、領海内における主権の行使の制限を明言する規定は何ら存しない。同協定に「領海」の文言が出てくるのは二条だけであるが、同条に「領海及び大韓民国の漁業に関する水域を除く。」とあることからすれば、同協定が「漁業に関する水域」を領海とは別個のものとして意識していたことが明らかである。この点に関し、原判決は、二条が「領海を除く。」と明文で領海を除外しているのに、一条ではこのような除外をしていないことからすると、二条の反対解釈として、一条に定める「それぞれの締約国が自国の沿岸の基線から測定して一二海里までの水域」とは公海に限定されるものではなく、領海をも含むものであると解することができる旨判示しているが、「領海を除く。」との明記の有無は、両条文の性格の違いに由来するものであるから、右解釈は失当である。すなわち、二条は共同規制水域の設定を定める条項であり、その条文自体で具体的に区域を明らかにしなければならないから、ことの性質上、領海を除くことを明文で注記する必要があるのに対し、一条は「漁業に関する水域」を設定する権利を有することを相互に認めあう旨を規定しただけで、この規定によって具体的に区域を設定するものではないから、当然のことを注記する必要はなく、わざわざ明記しなかったにすぎない。現に、同協定一条に基づき日本の「漁業に関する水域」を具体的に設定した「日本国と大韓民国との間の漁業に関する協定の実施に伴う同協定第一条1の漁業に関する水域の設定に関する法律」(昭和四〇年法律第一四五号)の委任による「日本国と大韓民国との間の漁業に関する協定第一条1の漁業に関する水域の設定に関する政令」(昭和四〇年政令第三七三号)一項には、日韓漁業協定二条と同様に、「領海を除く。」との注記がある(もっとも、平成八年政令第二一一号による改正前は「公海に限る。」との文言であった。)のである。

6  以上のとおり、日韓漁業協定は国際法上の前記「漁業水域」についての取り決めであり、公海だけに限定した取り決めであって領海を規制対象としたものではないのであるから、同協定四条一項が日本の領海における主権の行使を制限する規定であるとの解釈は、これを容れる余地はない。同協定四条一項は、同協定の締結当時、日韓両国間にいわゆる李承晩ライン問題があったことや、同協定が「漁業に関する水域」のほか、その外側に共同規制水域や共同資源調査水域を設定することをも定めていることなどから、「漁業に関する水域」の外側すなわち公海における取締り及び裁判管轄権については、公海自由の原則に従い旗国主義によるという、国際法上当然のことを確認したにすぎないものと解するのが、協定の沿革及び文言に従った素直かつ自然な解釈というべきであり、これをもって、領海における主権の行使を放棄した規定であると解釈することは到底できない。加えて、同協定が締結された当時、領海の幅に関する国際的な合意がいまだ成立していなかったことに照らすと、同協定が将来における領海拡大を制約する趣旨を有していたとも解釈できない。

7  そして、原判決は、日韓漁業協定締結の時点でいずれかの国の領海でなかった海域について、その後に領海が拡大したからといって同協定の適用がなくなると解することは相当でない、とも判示しているが、右判示は、その前提として、漁業協定が領海の例外を形成するとの理解に立っているものであるところ、そのような理解が失当であることは、既に述べたとおりである。

「漁業に関する水域」が本来領海の外側である公海に張り出して設定される水域であることに鑑みれば、領海内に「漁業に関する水域」の外側が存在することはあり得ない。また、領海に沿岸国の主権が及ぶことは国際法上当然のことであるから、その領海に殊更「漁業に関する水域」などを設けて漁業に関する排他的管轄権を認める意味もない。

したがって、「漁業に関する水域」を設定した後に領海がこれよりも拡大した場合には、その領海拡大が国際法上の基準にのっとり適法になされたものである限りは、「漁業に関する水域」は領海の中に取り込まれ、存在意義を失って消滅するものと解される。

8  沿岸国は、国際法に従い、自国の領海を独自に決定できるものであるところ、新領海法は、第三次国際連合海洋法会議において採択された「海洋法に関する国際連合条約」(平成八年条約第六号。通称「国連海洋法条約」)を根拠として適法に制定されたものであり、右条約には韓国も署名しているものである。弁護人は、日本が韓国との協議ないし韓国の同意なく新領海法及び同法施行令により直線基線を採用して本件海域を日本の領海内としたことにつき、直線基線を採用する場合の協議義務を規定した日韓漁業協定一条一項ただし書との関係で、その適法性に疑問がある旨主張するが、同条項は「漁業に関する水域」の拡大手順につき規定したものであって、領海の拡大につき制約を定めたものではないと解釈されるところ、日本は国連海洋法条約に従って適法に領海を拡大したものであって、日韓漁業協定で定める「漁業に関する水域」を拡大したものではないから、右主張は失当であって採用できない。

9  なお、原判決は、条約と法律との優劣関係を問題としているが、以上述べたとおり、本件海域は平成九年一月一日から日本の領海となったから、それ以降は、日韓漁業協定四条一項は、本件海域には、そもそも適用の余地がないのであり、条約と法律との抵触という事態が生じることはなく、したがって、その優劣関係が問題となることもない。

以上の次第で、本件海域における日本の取締り及び裁判管轄権の行使は、日韓漁業協定により何ら制限されるものではないから、本件につき日本は裁判管轄権を持つ。本件につき日本に取締り及び裁判管轄権がないとした原審の判断は誤りである。

四  結語

よって、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。

そこで、刑事訴訟法三九七条一項、三七八条二号後段により原判決を破棄し、同法三九八条により本件を原裁判所である松江地方裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり判決する。

平成一〇年九月一一日

広島高等裁判所松江支部

(裁判長裁判官 角田 進 裁判官 石田裕一 裁判官 水谷美穂子)

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